コモノの雑記帖

日々の雑記帖です。暮らすという事、考える事。

【話題】記者が壁を蹴ったとか。蹴らないとか。

最近ニュースを賑わす事件の取材で、記者が取材を断られた腹いせに壁を蹴った動画が公開されたようだ。

 

少し前にさかのぼるけど、ホームレスに対する恣意的な報道がなされTBSの番組がBPOの審査を受ける事になった。

 

ジャーナリズムって何のためにあるのか。何を報道すべきなのか。大衆が見たいものを届けるという使命はあるのだろうけれど、一方的な情報操作や発言の一部を切り取ってセンセーショナルな事柄へ仕立て上げる報道は、もはや報道という使命を放棄して単なる娯楽なんだと思う。

 

写真を撮っていた20代の頃、報道写真をとるフォトグラファーに憧れていた。命をかけても伝えるべき話題を求めるその姿勢には憧れた。テレビメディアだけではなく、新聞という媒体においてもその気概を感じるような報道を目にする機会は減ったように思う。

 

多分、そういった記者や報道に携わる人はいて、視聴率や部数に貢献しないと跳ねられるあまりに熱意を失っているんではないだろうか。視聴者や読者という大衆を軽んじられているんだなぁという印象しかないんだけど、どうなんだろう。

 

こんな状態では何を信じて良いのやら、自分自身で選び評価する事を放棄し流れてくるニュースを鵜呑みにして批判をし満足する。そんな大人の責任は重いんではないだろうかと思ったりする。

 

インターネットの功罪は議論の余地はあるにせよ、アンチが発生する土壌が無ければ疑問が生まれないのも事実だったり。気に入らない意見を叩きのめすかのような苛烈な発言って、結局双方向の議論が出来ない旧世代の残滓でしかなくて、大人になっても認められない承認欲求の現れなんではないだろうかと、ただつらつらと考えたりする。

 

きっと自分もヒマなんだなー。

 

【日常】恐竜の日とか○○の日とか

こんにちは。

 

今日は恐竜の日なんだそうです。子供がもう少し小さければ恐竜の格好にして写真でも撮っていたかもしれません。インスタもハッシュタグで恐竜の日とか溢れてたりするんじゃないかとおもいます。あとで見てみよ。

 

小さなころ、恐竜が大好きでした。それがこうじて怪獣好きとなり、ウルトラマン好きとなって初代ウルトラマンからウルトラマンレオまで登場する怪獣を順番に言えた時期もありました。レオの後に出たウルトラマンは何が何だかわかりませんが、ジラースがゴジラの着ぐるみを流用してる(しかもモスゴジ)だとかの雑学だけは豊富な子供時代でしたよ。

 

当然そうなるとゴジラも好きになり、アンギラスとかガイガンとかの対決もののゴジラシリーズでは満足できず、東宝が何年ぶりかにゴジラの新作を公開する時に募集してたゴジラクラブというファンクラブにまで入会し特典として初代ゴジラを劇場で観れたりして子供ながらに沖田博士に心酔したりしてました。

 

振り返れば、興味のあることをとことん突き詰めていたような子供時代。今になっても楽しかったなーという思い出が蘇ります。

 

○○の日、とは色々な大人の思惑が交錯する、いわば小狡い理由で宣伝されたりもしますが、理由はなんであれ深く考えずに楽しめる軽やかさがあったら良いんじゃないかなと思った朝でした。

【休日】晴れた日のリビング

冬枯れの季節。

 

休日が快晴になったのは久しぶりに思う。

リビングでは次女がお昼寝をし、その横でこっそりブログを書いている。

 

最近家族は立て続けにマイコプラズマや風邪にかかり、いまやミニパンデミックのような日々が続いていた。夜間もしばらくは気も休めることができなかったり。

 

年末に向けて仕事もそれなりに立て込む時期、自身も含めて体調がすぐれないことのデメリットを痛感している。なかなか今までのようにはいかないものだ。昔はなんであんなに病気に対して不安を持っていなかったのか思い出すことすらできないけれど、今日のようなよく晴れた休日を、ひとり自宅でダラダラ過ごしていた時間がいやというほどあったな、と思い出した。

 

誰かから遊びのお誘いがかかればいいのに、なんてかかってくるわけない様な電話を手元に置きながら、大して興味がないワイドショーを付けっ放しでソファで寝転んでいたあの頃は、だいたいそのまま夕方になって何もしないまま夜になった。

 

そんな時間を今は願っても持てるわけでもなく。

物事や時間の価値は、そのものが目の前にある時には気がつくことができず、もう手に入らなくなってから大体後悔をする。退屈で仕方なかったあの時間をまさか懐かしみながら羨む日がくるとは!

 

次女が寝ている束の間の時間だけれど、しっかり惰眠を貪ってやろうと思った。

 

【読書】なんとなく古典を読みたくなる冬。

最近、青空文庫で夏目漱石の夢十夜を読みました。

 
「100年はもう来ていたのだな」
 
一夜の最期につぶやくように書かれた文章に、色々思う事がありました。
 
歳だから、と独り言ちるほど若さに未練もないのですが、前だけを向いていた頃とは違う何かが心にあるのも間違いない歳にはなりました。
 
人は死ぬ、という切迫した死生観ではなく、あとどのくらいだ。いつなのだ。と何かに問いかけるような心持ちになる事に中々整理がつかず、昔読んだ夢十夜を思い出して文をさらさらなぞってみれば、意外にもすとんと落ち着く気持ちになれました。
 
あの頃は何かを理解し、それを取り込み自分に吸収するような意気込みで読んでいた漱石ですが、そんな重くもなく読める歳になった事は、素直に喜ばしいと思いました。
 
我が身に向けて100年とは言いませんが、過ぎた時間の流れにふと触れるような事が、今後もあるのだろうと夢十夜を読んでいて感じ入る冬の夜です。
 
読み散らかして理解したような気分になっていた古典は恥ずかしくて言えないほどたくさんありますか、少しづつですがその時々にあった古典を手に取るのは良い事ではないかなと深夜1人、ふつふつと考えています。
 

【季節】雪が降る街

11月に雪が降った。東京では54年ぶり、積雪は初とか。

 

日本には四季があるとなんとなく今でも思っている。ただ秋を感じる事が最近は少なくなって来た。紅葉を見に行かなくなったからなのかな。

 

そんな風に過ぎてしまったことを気がつかないくらい短い秋なのに、四季の中では一番楽しみかもしれない枕言葉がつく季節でもある。

 

「読書の」

「芸術の」

「食欲の」

 

こんなに人を煽っておきながら、過ぎたことを感じさせないとかどんなツンデレなのかと思うよ、秋。そんな性格の悪い事をしちゃいけないと思うんだが、今年も見事に冬になっている。

 

何一つ楽しむ前に、今年も秋は行ってしまったと言う訳だ。

いきなりの冬になり、積雪という都会の人がドキドキしながらもちょっと困ってしまうと言うイベントは、毎年の例にもれずに軽い混乱を引き起こしながらやってきた。

 

おかげで予期しない寒さで震えている。

秋があっという間に過ぎるのは悲しいし、準備もなく冬を迎えるのは悲しいと言うより苦しい。

 

もうすこし季節は礼儀をわきまえて欲しいなと思った雪の日のでした。

 

 

 

【子供】幼稚園の帰り道

昨日のこと。幼稚園の帰り道、長女がこんな事を言っていた。
 
「明日は勤労感謝の日だから、働いてる人にお礼を言う!」
 
お母さんにも言わなきゃだね、と相槌を打っていたらこんな答えが。
 
「マンションの管理人さんにお礼言いたい。」
「あそこで働いている人(街路樹のお手入れしてる方)にお礼言いたい」
 
お、おおぅぅぅ・・・
 
なんとまぁ博愛的な、と思っていたら道で目に付いた人を片っ端から「あの人は何してるの??」と質問が始まった。どうやら「○○のお仕事してるんだよ」と自分が答えた人全員にお礼を言って回るつもりらしい。。。
 
お礼を言う。という感謝の気持ちを表すことを幼稚園で学ばせているということだろう。それをすぐに行動に移そうという子供の純粋な気持ちは非常に喜ばしいのであるけど、、、
若干「良い子だね、すごいね」という褒め言葉を期待している娘の気持ちも透けて見えてしまい、礼儀って身につけるの難しいねって思ってしまった午後でした。
 
4歳では仕方がないから苦笑いをどうにか抑えつつ「勤労感謝の日は明日だから、まだ大丈夫だと思うぞ?」と言い聞かせながらごまかしながら帰宅した午後でした。
 

【雑感】夢を語る人、現実を説く人。そして間違いを犯している人々。

ブログで生計を立てる、と言う方々がいます。

そしてその方々の記事を読んでいて思う事は、大別するとタイトルのような区分けになるなーと感じています。

 
自分が20代であれば間違いなく夢を語る人に傾倒したと思います。都会を脱出して暮らすとか、旅をしながら暮らすとかですね。家族を持ち、以前のような思い切った行動が取れなくなった今でも、そういう生き方に憧れる部分はなきにしもあらずです。(いや、ありますw)
 
今の自分はどうかといえば、現実を説く世代。ビジネスの話、投資の話、子育ての話。どれも現実に向き合う必要があるからです。あの頃は楽しかったなー、と胸を張って言ってしまえる自分がいます。だって仕方ないよねw
 
理想でも現実でも、自分のその時々に置かれた立場や状況で受け止め方は異なるものです。都会から離れ田舎で暮らす魅力を説く超有名な某ブログを読んでいても、この中身は書いている方のリアルであって自分のことでは無いなと感じますしね。
もっとも、くだんのブログは炎上狙いというのでしょう。他人の否定が最優先、と言わんばかりのタイトルから引っかかりますが(笑)。いつの世も他人を否定し自己肯定と為すような事がゆるされるのは20代までではないかと、おっさんになった自分は思ってしまいます。
 
また、夢を語るのであっても現実を説くのであっても、誰でも自由におやんなさいよと思うんですが、書き手の等身大の文章でなければ違和感を感じます。虚栄や達観のような押し付けがましさと言うのでしょうか。正論だとして語られる自分語りは読んでも聞いても不快だなぁと思います。
 
少し前、趣味の話題で某メディアと某ライターに噛み付いた方がいました。その方が説いたマナーは自分には受け入れる事が出来ず、その方の理想が世の中の正論だと押し付けた印象しか受けませんでした。丁度バブル弾ける前の日本で、大学進学を人生唯一の成功と信じて疑わなかった教師たちのようです。
 
あるべき論を唱える方々の他者を排斥する言葉を見る度に、良識を相手に委ねる事ができない幼稚な大人の発想だなと思ってしまいます。その方も現実に存在する相手を信じる事が出来ない臆病さなのか、またはWebであれば炎上を味方に相手を弾劾出来るとふんだ浅はかな見立てだったのでしょうか。ある程度の反論が上がったその後も、ご自身では何も仰いませんし、何事もなかったかのように黙ってしまわれました。結局あれはなんだったのか?と今でも聞いてみたい衝動に駆られてしまいます。不快にさせられた一件で、また久しぶりに痛いなと思った事件でした。
 
このような方がたくさんいる社会で、大人の言うことを聴きなさいと子供に説くことなんかできません。大人とは基本的に間違う生き物です。
 
大人のふりをした子供にならぬよう自戒を込め、現実を説く大人になりたいものだなと思った訳でした。